大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)8225号 判決 1988年8月19日
原告
金子イヨ子
原告
金子謙一
原告
藤早苗
原告ら訴訟代理人弁護士
松隈忠
被告
株式会社互恵会
右代表者代表取締役
菊池二郎
被告
野口晋一
被告ら訴訟代理人弁護士
前川信夫
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の申立
一 原告ら
1 被告らは各自、原告金子イヨ子に対し金三七四四万一一八〇円、同金子謙一、同藤早苗に対し各金一八七二万〇五九〇円及び右各金員に対する昭和五八年一二月一日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告ら
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告金子イヨ子は亡金子兼次(以下、兼次という。)の妻、同金子謙一はその長男、同藤早苗はその長女である。
(二) 被告株式会社互恵会は肩書住所において「大阪回生病院」(以下、被告病院という。)を設置、運営し、被告野口晋一は被告病院に勤務する内科医として兼次に対する後記検診を担当した。
2 本件医療事故
(一) 兼次(大正九年九月一六日生)は、昭和五五年三月被告会社と精密検査(人間ドック)診療契約を結び、同月二四日から二八日まで被告病院に入院し、諸検診を受けた。
(二) 被告病院は兼次に対し、血圧等の一般数値の計測、血液検査・生化学的検査、胸部・胃・胆のう等のX線検査、内科各部の検査・心電図検査、整形外科、皮膚科、泌尿器科、歯科、眼科、耳鼻科及び神経科での各部の検査(以下本件検診という。)をなした。
(三) 被告病院は本件検診の結果、兼次の肺右下部に陰影を認めたが、戦時中に罹病した肋膜炎の残影と判断し、同人に対し、現状では、入・通院して治療を受けることは必要でないと告知した。
(四) 兼次は、その後被告病院の行った生活指導に従い食生活に注意し、飲酒をつつしみ喫煙もしなかった。ところが、兼次は同五六年一二月流感にかかり、仲々治癒しないため、同五七年二月下旬大和病院で受診し、X線検査を受けた結果、「肺ガン」に罹患していることが判明した。同病院は、原告ら家族に対しては兼次は「肺ガン」であり、余命二週間ないし一ヶ月という診断結果を伝えたが、兼次に対しては「肋膜炎」であるから直ちに入院するよう指示したに止まった。
(五) 兼次は、同年三月三〇日右病院で死亡し、関西医大病院で解剖に付され、死因は右肺原発腺ガンと診断された。
3 被告らの責任
(一) 本件検診の結果、兼次の肺下部に明白な陰影が認められたが、結核性の肺の陰影は肺の入口(上部)にあるのが通常であるのに対し肺下部の陰影は、肺ガンの疑いがあるから、その究明に努め、これを確知しえないときは、肺ガンを疑いそれに応じた措置を施すべきである。
しかるに、被告野口は右陰影を数十年前の肋膜炎等の残影と即断し、その究明を怠ったので兼次の肺ガンを発見しえず、そのため、兼次は後記のとおり死期を早めた。
(二) 被告会社は、被告野口の誤診により兼次の早期の死を招いたから債務不履行の責任がある。
(三) 被告野口は医師に課せられた注意義務を怠り誤診したのであるから不法行為責任を負い、被告会社は、被告野口の使用者として不法行為責任を免れない。
(四) ガンは、早期発見し、適切な治療措置を講ずることにより、延命可能である。兼次は同五五年適切な手術を受けることにより爾後少くとも一〇年は生存できた。
4 損害
(一) 兼次の逸失利益
兼次は株式会社マルシンカメラの代表取締役として稼働し、年収は一三二〇万円であった。
兼次は死亡時六一才であったが、前記のとおり適切な治療を受けていればなお八年間は就労し右同程度の収入を得ることができたから、同人の死亡により逸失利益(ただし、生活費控除三〇パーセント)の現価をホフマン方式により算定(新ホフマン係数6.589)すると六〇八八万二三六〇円となる。
1320万×0.7×6.589
(二) 慰謝料 一四〇〇万円
(三) 原告らは兼次の右逸失利益及び慰謝料を相続(原告イヨ子二分の一、同謙一、同早苗各四分の一)した。
5 よって、原告らは被告らに対し不法行為ないし債務不履行に基づき本訴請求をする。
二 請求原因に対する認否及び主張
1 請求原因1(一)は不知、(二)は認める。
2 同(一)(二)は認める。
同2(三)のうち、被告病院において兼次に対し肺右下部に陰影が認められるが、影像の状況からみて多分同人が以前罹患したという肋膜炎の残影と思われると述べた事実は認め、その余は否認する。
同(四)、(五)は不知。
3 同3(一)ないし(三)は否認する。
4 同四(一)のうち、兼次の年齢は認め、その余は不知。逸失利益の主張は争う。
同(二)は争う。
同(三)は不知。
5(一) 被告病院における人間ドックは、受診者に対し全身的に一定の検査を実施して異常個所や問題点を発見しチェックすることを目的とし、その結果問題個所が発見された場合には一週に二回(月曜日と金曜日)ドック診察の制度を設けて更に詳しい精密検査や経過追跡を行い必要な診療を行うことにしている。
(二) 兼次に対してはドック検診の結果概ね次のような異常所見ないし問題点が判明した。
(1) 血糖値からみて腎性糖尿の疑があり、IRI検査が必要
(2) 血沈値がやや高く、ガンマーグロブリンが高く結核性素因等の存在の疑い
(3) 脂肪肝の疑があり、ガンマーGTP検査による肝機能検査の継続が必要
(4) ASLO値やCRP、RA検査の結果からリューマチ素因の疑もあり、経過追跡が必要
(5) 重症の眼底網膜動脈硬化症があり、徹底した眼科受診の必要
(6) 胆のうは経口法で造影できなかった(胆のう閉塞ないし肝機能低下に基づくことが多い)ので点滴法により実施することが必要
(7) 心電図検査により冠不全及び心筋障害の疑いがあるので、更に負荷心電図検査が必要
(8) 呼吸器について、肺の右下部に陰影があるが、影像からみて同人が申述した肋膜炎の既応歴の残影と思われるが、陰影に変動があれば結核等の疑もあるので、継続して詳しい検査と観察が必要
(9) 高血圧と肥満糖尿病傾向であり、十分の食養生が必要
(三) そこで、被告野口は、兼次に対し、右検査結果及びこれに基づく所見を説明した上、被告病院の実施しているドック診察の制度を説明して、詳しい検査と経過観察のため、引続き右ドック診察を受けること、或いは他の信頼する病院で受診することを勧めた。しかし、兼次はその後被告病院に来院しなかった。仮に、被告野口において、兼次のガンをも疑ったとしても、右の段階では精密検査の受検を勧めれば足り、ガンの可能性を告知する必要はない。
以上の次第で被告らには何らの診療上の過誤は存在しない。
6 兼次が肺ガンで死亡したのは被告病院の本件検診後約二年経過した昭和五七年三月三〇日であり、しかも兼次が罹患していた肺ガンは腺ガンで、その進行は極めて早く、通常発病から六ヶ月ないし一年位で死に至る。したがって、兼次の肺ガンは本件検診後に発症した可能性が高い。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1(一)、2(一)(二)及び、同(三)のうち、被告病院において、兼次に対し本件検診結果の要旨の告知と生活指導を行い、肺右下部の陰影は影像の状況からみて、同人が以前に罹患したという肋膜炎の残影と思われると述べたことは当事者間に争いがない。
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
1 原告金子イヨ子は兼次の妻であり、同金子謙一は、その長男、同藤早苗はその長女である。
2 兼次(大正九年九月一六日生)は昭和五五年三月被告会社と人間ドック検査診療契約を結び、同月二四日から二八日まで被告病院に入院し本件検診を受けた。兼次は元来丈夫であったが、同年初めころ緑内障を患ったのが契機となり人間ドック検査を受けることとした。
3 被告病院は兼次に対し本件検診を行ない、胸部レントゲン検査(<証拠>、以下、本件レントゲン写真という)により同人の肺右下部に陰影を発見し、被告野口が精密検査成績の総合判定呼吸器系欄及び注意欄に「肺野右下部陰影増大、注意が必要、陰影が増加すれば結核性の心配がある」旨記入した。
4 被告病院は、右成績表の一部を保存し、一部を兼次に交付した。被告野口は右交付に際し、兼次に対し本件検診結果の要旨の告知と生活指導を行ない、肺野右下部の陰影については影像の状況からみて同人が以前に罹患したという肋膜炎の残影と思われるが三ヶ月後に肺正面、断層右肺下部のレントゲン撮影検査等が必要と考え、再検査の必要性を説いた。
5 兼次は、その後右生活指導に従い食生活に注意し、飲酒をつつしみ喫煙もしなかったが再検査は受けなかった。
6 兼次は同五六年一二月流感様の症状を訴え、軽快しないので、原告らは同五七年二月下旬いやがる兼次を無理矢理大和病院へ連れて行き受診させた。同病院は諸検査の結果、兼次は肺ガンに侵されており、余命は二週間ないし一ヶ月と診断した。
7 兼次は、同年三月三〇日右病院で死亡し、関西医大病院の解剖に付され、死因は右肺原発腺ガンとされた。
以上の事実が認められる。<証拠判断略>
二原告らは、本件検診によって発見された兼次の肺下部の陰影は肺ガンの徴候であったのに、被告病院(被告野口)は結核ないし既応症の肋膜炎の残影と誤診したと主張する。
しかし<証拠>によると、本件検診の際の本件レントゲン写真のみから右陰影が肺ガンの徴候であり兼次を肺ガンと診断できる状況になかったことが認められ、原告らの主張は採用できない。
また、原告らは、右陰影が結核か肺ガンによるものか判明しないときは肺ガンと疑いそれに応じた適切な措置を施すべきであり、また、肺ガンの可能性があることを兼次ないし家族に対し説明すべき義務があると主張する。
しかし、<証拠>によると、人間ドック検診は、受診者の全体像を診て異常があるならその旨の警告を送るものにすぎず、特定の病状に対する精密検査或いは治療を目的とするものではないから、被告病院において兼次の肺に病巣を認めながら肺ガンであるのか結核であるのか或いはその他の症状であるのかを確定せず、同人に対し三ヶ月後の再検査を指示したことはなんら右ドック検診の趣旨及び目的に反するものではなく、被告病院に義務違反を認めることはできない。
そして、被告野口は兼次に対し肺下部の陰影は肋膜炎の残影と思われるとの所見を述べたに止まり、肺ガンの可能性のあることを説明しなかったのであるが、僅かにレントゲン写真によって肺の陰影を発見し、その他何らの精密検査をも経ていない段階で早々に肺ガンの可能性のあることを告知することが必要かつ妥当であるとは即断し難い。
従って、被告病院(被告野口)が兼次はもとより家族である原告らに対し兼次の肺ガンの可能性を告知或いは説明しなかったことに指導説明義務違反を認めることはできない。
三以上の検討によると、被告らは人間ドック検診として十分な検診をし、説明指導を尽くしたということができる。
よって原告らの本訴請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官蒲原範明 裁判官河村潤治 裁判官山本善彦)